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藝大リレーコラム - 第九十五回 土田牧子「今、思うこと」

連続コラム:藝大リレーコラム

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第九十五回 土田牧子「今、思うこと」

 歌舞伎音楽の研究をしている。歌舞伎音楽といってもいろいろあるが、中でも関心を向けているのが黒御簾音楽と呼ばれる効果音楽である。歌舞伎舞台の下手にある黒御簾の中で、芝居や舞踊の進行に合わせて音楽で情景や状況の描写をしたり、種々の効果音を担当したりする。歌舞伎にとっては縁の下の力持ち的な存在だ。
 黒御簾では唄、三味線、笛類の他、数十種の打楽器が使われるが、その中に「オルゴール」と呼ばれる楽器がある。この楽器、一般的なオルゴールとは似ても似つかない。大きさの違う小型の鏧(きん)(金属でできたお椀型の仏教楽器で、小型のものは一般に「おりん」という呼び名で知られている)を複数、板に横向きにくっつけて、それを撥で打つものである(小泉文夫記念資料室の動画もご覧頂きたいhttps://www.youtube.com/watch?v=vZox_kMf91o)。とても美しい音を発するのだが、オルゴールとは音のなる仕組みが全く違う。音色がオルゴールに似るからこの名前が付いたと言われるが、音色も似ているのか、微妙なところだ。

オルゴール(写真右上)(浜松市楽器博物館にて筆者撮影)

 この楽器の歴史は未詳だが、歌舞伎が独自に生み出した楽器と言われ、近代以降に使われ始めたものと考えられる。『田中涼月歌舞伎囃子一代記』(日本芸術文化振興会1992)には、明治26年(1893)の『鏡獅子』の上演の際に、オルゴールという楽器を作って用いたエピソードが紹介されているが、この時に使われたのは、箱の中に太さの違う針金を二重三重に吊るしたもので、今とは形状が違っていた。明治26年使用のもののほうが若干オルゴールに近いようにも思われるが、経緯は分からぬものの、最終的には〔写真〕の形で定まって今に至るようだ。
 謎の多い楽器だが、歌舞伎や日本舞踊に触れている者にとってはわりと馴染みのある存在である。芝居では、異国(歌舞伎に出てくる異国の多くは中国)を表す音として、あるいは立派な屋敷や御殿の荘重な雰囲気を出す用途として演奏される。大名時計のチーンチーンという音を出すのもこの楽器である。舞踊でも、獅子と蝶が戯れ遊ぶ場面など幻想的な表現として、また音がかわいらしいので可憐さを出したい舞踊などにも使われる。用途は様々だが、一言で言えばやや非現実的な世界と結びついた音と言えるだろう。
 近代の歌舞伎に携わる演奏者たちは、オルゴールという珍しい西洋楽器の音のイメージを〔写真〕のような楽器に創り上げ、それを非現実的な、幻想的な場面の描出に用いた。ここには、まだ知らぬ世界への憧憬や敬意が垣間見られ、同時にそれをどうにか取り入れてやろうという貪欲さや、全然違うけど「オルゴールです」と言ってしまう大胆な想像力/創造力、それを中国にも江戸城御殿にも獅子舞踊にも使ってしまおうという柔軟性が感じられる。こういう柔軟性や想像力や創造力を、異文化に対する敬意や憧憬を、今の日本人は持ち合わせているだろうか。やたらに「正しさ」を求める(一方でフェイクが蔓延るのだが)今の世の中は、こんな「オルゴール」の出現を認めただろうか。もちろん、当時の社会が実際には深刻な問題を多く抱えていたことは言うまでもないし、情報量だって今とは全然違うのだから、単純に比べることはできない。でも、歌舞伎のオルゴールに感じられる一種の寛容さは、今の日本社会が失くしてしまったもののように思える。

写真(トップ):国立劇場(閉場中)の舞台と客席(国立劇場にて筆者撮影)


【プロフィール】

土田牧子
東京藝術大学 音楽学部楽理科准教授 東京藝術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了(博士(音楽学)2007)。専門は日本音楽史(特に近代の歌舞伎音楽)。日本学術振興会特別研究員、共立女子大学教授を経て現職。著書に 『歌舞伎音楽事始―音を聴く 深く観る』(NHK出版、2024)、『新派映画の系譜学―クロスメディアとしての〈新派〉』(共著、上田学?小川佐和子編著、森話社、2023)、『音と耳から考える : 歴史?身体?テクノロジー』(共著、細川周平編著、アルテスパブリッシング、2021)、『黒御簾音楽にみる歌舞伎の近代―囃子付帳を読み解く』(雄山閣、2014)ほか。